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2021年7月26日
「竜とそばかすの姫」のベルの歌が「自分のために歌っている気がする」理由
もう「竜とそばかすの姫」を観ましたか?
念のために冒頭に書きますが、すでに観られた方向けの記事です。
一切のネタバレなしで観たいという方は観てから読んでくださいね!
また、あまりインタビュー記事や他のかたの書かれた記事を読んでおらず、パンフレットも売り切れて購入できなかったので、すでにどこかで言及されているかもしれませんが、個人の感想の記事です。
間違っていたらすみません。
あと、わざわざ書かなくても、という人もいると思いますが、その場合は共感してくれたらうれしいです。
自分のために歌ってくれている気がする
彼女の歌は本当に魂に届く力があると思うので、感染対策をしっかりされたうえでぜひ劇場で聴いていただければと思いますが、
誰しもに
「自分のために歌ってくれている気がする」
という評価をされて拡散していく、という展開でした。
CM等で皆様がお聴きの通り、歌唱力の高さや楽曲の力はいうまでもないし、劇場で聴くとそれ以上でしたが、「なぜそのような評価をされるのか」が物語で「必要」だけれど、「一部の人にしか共感できない」もので、「おそらく監督個人の体験に結びついているだろう」と思うものです。
親を探して泣くこども
お子さんのいる方で、街中で、「おかあさん」または「おとうさん」と泣く赤の他人のこどもを見て、自分の子ではないのはわかりきっているのに、自分が呼ばれている気がする、という体験をしたことのある方は多いかもしれません。
おそらく私自身はこの人生では、その体験はしないかもしれないけれど。
そのような体験がベースになっている物語であると思います。
ベル/鈴の歌は、亡き母と過ごした時間に向けて、亡き母を呼んで歌っているものが多く、自分が呼ばれている気がする(または、自分が呼んでいる声を代弁している)気がして、それで自分のために歌ってくれている気がするのだと感じました。
赤の他人の子が助けを求めて泣いている声を聴いて自分が呼ばれている気がして嵐の中川に飛び込んでいった母親と同じように、母に向けて歌った歌を聴いてこころを揺らされた世界中の人たち。
宇多田ヒカルの「花束を君に」を何度も聴いたあのときのわたしのように。
アンベイルされたからではなく
アンベイルされたからではなく、自分が親(または親のかわりに守ってくれる人を)呼ぶ側ではなく、助けに向かう側に回ったことで、ベル/鈴は魔法にかかったような誰しもの胸に届く声ではなくなるかもしれないけれど、これまで見えていなかった、自分を大切にしてくれるまわりのことが見えるようになった(これもベイルがとれたといえる)彼女に新しい地平がみつかるといいなあ、と思います。
でも心配(ケイ君たちが)
まだ腕力が育ち切っていないケイ君やその弟が、闘うとはいってもすごく心配な終わり方でした。無事に保護されただろうか、というところだけ曇って劇場を出ました。
さいごに
映像も美しかったですが、楽曲のためだけにでも劇場に向かう価値はあったと実感しました。
このようなご時世ではありますが、安全に配慮しつつ、ぜひ劇場であの歌を聴いてほしいなと思います。